Fig.174: 相模国➡武蔵国: 南北朝期〜室町期 お気に入り画像登録
Fig.174: 相模国➡武蔵国: 南北朝期〜室町期

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2025-05-10 09:00:41

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一ノ宮ガユウ

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コラム(17) 根羽村の変遷 ~ (21) 小豆島の変遷
https://www.alphapolis.co.jp/novel/214885297/89423550/episode/9573664

鶴間より下流の俣野付近には中世に大庭御厨の俣野郷が成立した。大庭御厨は長承3年(1134) 相模国司解 が初出で、近世の高座郡 大庭村付近 (現在の藤沢市 大庭付近) が根拠地だったとみられる。大庭という地名は、和名類聚抄に相模國 高座郡の「大庭鄕」としてあらわれ、延喜式にも「大庭神社」が相摸国 高座郡に含まれる。しかし俣野郷は境川をまたがり、江戸期までに境川が高座・鎌倉両郡の境界に確定した結果、高座郡に西俣野村、鎌倉郡に上俣野村・東俣野村が存在することになった。現在でも旧・高座郡の藤沢市に西俣野、旧・鎌倉郡の横浜市 戸塚区に俣野町 (基本的に旧・上俣野) と東俣野町が存在する。
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