Fig.174: 相模国➡武蔵国: 南北朝期〜室町期 お気に入り画像登録
Fig.174: 相模国➡武蔵国: 南北朝期〜室町期

登録 タグ *シモウサへようこそ! *アルファポリス *藤沢市 *鎌倉市 *相模国 *小説家になろう *令制国 *鶴間 *相原 *俣野
編集を行うにはログインしてください

投稿日時
2025-05-31 13:20:39

投稿者
プロフィール画像
一ノ宮ガユウ

このユーザのマイページへ

お気に入りユーザ登録
投稿者コメント
コラム (19) 高座川左岸の変遷
https://www.alphapolis.co.jp/novel/214885297/89423550/episode/9714035

鶴間より下流の俣野付近には中世に大庭御厨の俣野郷が成立した。大庭御厨は長承3年(1134) 相模国司解 が初出で、近世の高座郡 大庭村付近 (現在の藤沢市 大庭付近) が根拠地だったとみられる。大庭という地名は、和名類聚抄に相模國 高座郡の「大庭鄕」としてあらわれ、延喜式にも「大庭神社」が相摸国 高座郡に含まれる。しかし俣野郷は境川をまたがり、江戸期までに境川が高座・鎌倉両郡の境界に確定した結果、高座郡に西俣野村、鎌倉郡に上俣野村・東俣野村が存在することになった。現在でも旧・高座郡の藤沢市に西俣野、旧・鎌倉郡の横浜市 戸塚区に俣野町 (基本的に旧・上俣野) と東俣野町が存在する。
→画像情報ページへ
最大化 | アクセス解析 | ユーザ情報

メッセージ送信
▽この画像のURL(リンクについて)▽


▽この画像のトラックバックURL▽(トラックバックについて)


情報提供