タイトル | Fig.iz2: 新編相模国風土記稿巻之二十二: 足柄下郡... | ||||
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コメント | Fig.iz2: 新編相模国風土記稿巻之二十二: 足柄下郡 元禄改定図 (部分・国立公文書館所蔵) 元禄14年(1701) 12月「乍恐返答書ヲ以申上侯御事」によれば、万治年間(1658~1661) からこの対立はあって、伊豆山権現が北の門川 (現在の千歳川) およびその延長線上の谷筋を相模・伊豆の国界と主張するのに対し、小田原藩は南の稜線 (分水嶺) を主張していた。 伊豆山権現が山全体を神域 (境内) ととらえるのは正論といえる。しかし相模・伊豆の国界は、相模国の正保改定図では山陵で表現され、千歳川に相当する川筋と稲村は相模国内に描かれている。寛永7年(1630) 伊豆国絵図でも国界は山陵であって、「権現領」から国外へのびる道に「此境ゟ相模国稲村※所迄道法壱里九丁五拾七間」(※は『迫』か) とあることから稲村はその向こうとわかる。つまり小田原藩の主張の方が正しい。 地形的にも千歳川の両岸でひとつの地域が構成され、稜線が境界として認識されるのが自然といえる。一方で、谷筋から平地部 (現在の湯河原町 市街地) に出た千歳川は南にかたよって流れるため、利用可能な土地はほとんど北側にしかなく、南側の利用は限定的だったかと思われる。 |
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iコード | i967822 | 掲載日 | 2025年 05月 24日 (土) 12時 50分 06秒 | ||
ジャンル | イラスト | 形式 | JPG | 画像サイズ | 1920×1378 |
ファイルサイズ | 866,000 byte |
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