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投稿者:一ノ宮ガユウ
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タイトル Fig.543: 吾妻鏡 北条本 (部分・国立公文書館所蔵) に含まれる文治2年(1186) 乃貢未済庄々注文
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コメント Fig.543: 吾妻鏡 北条本 (部分・国立公文書館所蔵) に含まれる文治2年(1186) 乃貢未済庄々注文
コラム (3) 古代から中世・近世はじめにかけての下総国
https://www.alphapolis.co.jp/novel/214885297/89423550/episode/9812735

平安末期までに、下総国 葛飾郡から猿島郡にかけては広大な下河辺庄が成立した。広大であるのは未開発の荒れ地がそのままに取り残されていたからであり、利根川や渡良瀬川が乱流する文字どおりの氾濫原には、不安定な低湿地に無数の沼が散在していた。北部の台地上を野方、低地の河川流域を河辺と呼び、これらに対する新しい土地として古代の利根川 (古隅田川~元荒川) と中世の利根川 (古利根川) の間が新方と呼ばれた、とされる。

史料に初めてあらわれるのは久安2年(1146) 平常胤寄進状写で、相馬御厨の四至牓示として「西限下川邊境」が示されている。ただし単なる地名なのか、荘園の名称なのかはわからない。吾妻鏡には、文治2年(1186) 3月12日の記事に引用されている乃貢未済庄々注文 (同年 2月付) の下総国に「八条院御領 下河辺庄」があり、文治4年(1188) 6月4日の記事に引用されている権右中弁定長朝臣奉書 (同年 5月12日付) にも八条院領に「下総国下河辺庄」がある。成立過程の詳細ははっきりしないが、弟の政義とともに吾妻鏡に頻出する下河辺行平が開発し、鳥羽天皇か美福門院 に寄進して成立、八条院 に継承されたととみられる。
iコード i984574 掲載日 2025年 07月 01日 (火) 19時 52分 49秒
ジャンル イラスト 形式 JPG 画像サイズ 1920×1452
ファイルサイズ 1,226,757 byte

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