タイトル | Fig.552: 寛文の上野国絵図・郷帳 | ||||
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コメント | コラム (22) 渡良瀬川・利根川中流の変遷 https://www.alphapolis.co.jp/novel/214885297/89423550/episode/9812756 寛文元年(1661) 松平乗久 (乗寿の子) に代わって徳川綱吉が館林に入り、このとき周辺の所領は広範囲に再編された。この過程で国郡の整理が再び行われたのではないかと推定される。また、徳川実紀によれば寛文4年(1664) に上野国絵図の作成が命じられているので、寛文郷帳や中川忠英旧蔵 上野国絵図もこれをきっかけに作成されたと考えられる。 慶安元年(1648) の正保の下野国郷帳 (東野地誌) と寛文8年(1668) の寛文の上野国郷帳、およびこれらにそれぞれ対応する中川忠英旧蔵の下野国絵図・上野国絵図を比較すると、下野国の村々が 寛文8年(1668) 以後、上野国に移されていることがわかる。 ▷除川村・西岡村・西岡新田村は、慶安元年(1648) 下野国 正保郷帳・国絵図に安蘇郡として含まれるが、寛文8年(1668) 上野国 寛文郷帳・国絵図に邑楽郡として含まれる。 ▷下早川田村・足次村・上早川田村・傍示塚村・木戸村は、慶安元年(1648) 下野国 正保郷帳・国絵図に簗田郡 (梁田郡) として含まれるが、寛文8年(1668) 上野国 寛文郷帳・国絵図に邑楽郡として含まれる。 なお、慶安元年(1648) 下野国 正保郷帳・国絵図に含まれない北大島村・大新田村は、寛文8年(1668) 上野国 寛文郷帳・国絵図にも含まれないことから、その後の成立と考えられる。 |
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iコード | i993387 | 掲載日 | 2025年 07月 21日 (月) 14時 50分 04秒 | ||
ジャンル | イラスト | 形式 | JPG | 画像サイズ | 1920×1732 |
ファイルサイズ | 1,452,829 byte |
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